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一緒に食事をする楽しみ

2016.10.05 山形 誠

山形建築研究所の山形です。

台風18号の動きを気にしながら、今日はめでたく地鎮祭が執り行われました。

 

これから家を建てましょうというとまず、地鎮祭(じちんさい)を執り行うのが一般的です。地鎮祭とは、建物を建てる際に、神様に工事の無事や安全と建物や家の繁栄を祈る儀式。地鎮祭、上棟式といく祭事は、仏式でやらないわけではないけれど、基本的に日本では神式やることが一般的。

祭壇に立てた榊(さかき)に、その土地の神・地域の氏神を迎える、降神(こうじん)。神職が「オオ~」と声を発して降臨を告げる、そして、その後徳利の蓋が取られる献饌(けんせん)、さあ神様一緒に食事をしましょうよ、まずお酒から始めましょう、海のもの、山のもの、里のもの、数々揃えました、一緒に食べませんかという神様と人間の宴会の始まりを意味しています。式は最後に撤饌(てっせん)という儀式で食事がしまわれ、昇神(しょうじん)の儀で神が天に帰っていくことで終わる。

こういった神道のほとんどの祭事は、神様に酒と食事を出し、人間が一緒に食べるということに終始しているのです。直会(なおらい)というその後の宴会は、神様が一緒に食べてくださったということを、今度は人間たちだけで祝いあう会なのです。こんな儀式は世界中どこの宗教にもありません(私の知る限りですが・・・)。キリストと一緒に食事をするなんて話は聞いたことがないし、イスラム教の最大のイベントは全く反対の断食ですし、人間くさいギリシャの神ですら、人間たちと会食した描写などを見たことがありません。

このように神と人が一緒に食事をすることを、神道では「神人共食」といって祭りの基本と考えています。大和朝廷が東に進んでいく過程で、まず先住民族を口で説得し、平和的な侵攻が成立すると、神である支配者と人である先住者とが食を一緒にして心を交わした・・・のが起こりだとされていますが。世界中どこの民族だって一緒に飯を食うことの楽しみは強いに決まっていると思いますが。それを神道という宗教が祭事風に高めていったようです。

無宗教のはずの日本人が、超高層のビルを建てるときに必ず神主を呼んで神事をするといって外国人は驚き、そういわれるとそうだったと気が付くように、神道は生活の中に無意識に浸透してきているといえます。だから、「一緒に食事をする」ということが他の民族より一層心の交流を強めているように感じるのは、この神人共食の概念が無意識にあるからではないでしょうか。日本人くらい一緒に食事をすることを重視する民族はいない・・・と痛感することはありませんか?

 

ビジネス社会では、一緒に食事をするということは、承認することを意味しているから、営業担当は取引したい相手をを食事に誘おうとするし、上司は、言うことを聞かせたい部下を「ちょっと飯でも食うか?」と誘う。一緒に飯食ったら敵の手中に落ちると思うから、嫌な相手の誘いは断る・・・なんていうことは周辺で毎日のように起こっていること。また、「同じ釜の飯を食った仲間」とか「気のあった仲間と鍋を・・・」というように一つのいれものにみんなで箸を突っ込んで食事をするという形態が心を通わせるようです。

家だってよく考えてみるとそうじゃありませんか。父さんは会社から帰ってくると、まず玄関で上着を脱ぎ始め、ネクタイを外し、シャツを脱ぎながらリビングには目もくれず食卓に向い、デンと座り込んで「ビール!」といって食事を始めてから新聞、テレビ、お茶と、最後まで食卓から離れず、酔っ払って寝室に直行。リビングなんておよびじゃない。子供たちが「今度の休みにどこかに連れてってよ」とか「欲しいものがあるんだけど!」なんて甘えてくるのは、食事のときに親たちが機嫌よく心を開いているときだということを知っているからでしょう。お母さんだって同じようなことをしているはず。

神と人ですら食事を一緒にすると心が通いあうのならば、人間同士が通わないはずはない・・・ということで、人間たち、特に神道の国である日本人は食事の場を家族の、または人間同士の最大の団欒の場と考えているようです。ホームドラマの家の中のシーンがどこにあるか注意して見てみると、ほとんどのシーンが食卓を中心に展開していることに気づきませんか?飾り立てたリビングがホームドラマの舞台にならないのは、向田邦子さんや橋田寿賀子さん、倉本聰さんすべてに共通すること。

さて神代の話から解き明かして、食事の空間が日本人の住宅にとっていかに大切かについて話してきましたが、現実にはどうでしょうか。かつて住まいの中心に位置していた食事の空間は中心性を失ってきているように思えます。料理を楽しんだり、ゆっくり食べるという感覚が薄れてきているのかも知れません。このような状況を変えるために必要なことは、食べる営みのための空間という本来の役目を取り戻すこと。家族みんなが、そこにいることが楽しくなる住まいの中心、交差点のような空間づくりを目指してみてはいかがでしょうか?

 

栃木・埼玉の建築家集団 ハピケン
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