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春風萬里荘

2026.07.17 山形 誠

チョット前のことですが、茨城県笠間市にある「春風萬里荘」を観てきました。 写真は3点ともGRⅢx 適宜トリミング

この建物は茅葺き入母屋造りの江戸時代中期の民家で、もともとは現在の神奈川県厚木市近郊の豪族の母屋でした。これを昭和の初めに北大路魯山人が北鎌倉に移築し、自らの住居としていたもの。それを昭和40年に日動美術館の分館として笠間市へ移築し「春風萬里荘」と名付けられたとのこと。

千宗旦によってつくられた名茶室「又隠(ゆういん)」を手本とし、魯山人自身の設計による茶室「夢堺庵」は、全てにおいて凝り性ぶりを感じさせる素晴らしい茶室でした。

茶室の話が出てきたので、お茶室に関するうんちくを・・・

書院を「フォーマル」「真」の空間と捉えると、もう少し自由に施主の趣向を取り入れてくつろげる空間を目指したのが「数寄屋造り」です。檜の角柱の代わりに皮付き丸太を床柱に使ったり、松や杉や竹など数種類の材を取り合わせたり、違い棚や欄間などに工芸の技を凝らしたりするようになりました。

しかしそのベースはあくまで「書院」にあり、その上で自由な精神でつくった、洗練された「草体」(=真行草の草)の和風建築です。数寄屋造りを理解するうえで、もうひとつの視点が「茶室」の歴史です。

鎌倉時代になって禅僧栄西が抹茶喫茶法を日本に伝えて、僧侶や貴族、そじて武家、やがて庶民に至るまで茶を飲む習慣が広がりました。室町時代には、茶を点てる亭主と客が同席する独立した茶室を村田珠光(じゅこう)が考案し、さらに、十六世紀になると武野紹鴎(じょうおう)が侘茶(わびちゃ)を提唱し、精神性が重要視されるようになり四畳半茶室が定着。

そして侘茶を究極に突き詰めたのが、千利休です。利休は、畳2枚を敷いただけの極小の空間をつくり、無駄なものを一切削ぎ落とし、茶の湯に新しい価値観を吹き込みました。しかし、江戸時代に入ると幕府の要人に対する必要性から、茶室は明るくきれいな、広い空間へと形を変えていきます。小堀遠州の「綺麗寂び」(きれいさび)に代表される書院風の茶室です。このように十五世紀以降の茶室の変遷が、そのまま数寄屋造の歴史にも重なっています。

ここで出てきた「真・行・草」とは・・・

本来、書道の書体の類型を示す言葉です。書道の真書(楷書)、それをくずした行書、さらに行書をくずした草書の三書体のことで、さらに日本人の美意識の表現として広く用いられた言葉です。書道の普及とともに,最も格式の高く整った真と,その対極に位置する最も破格の草,その中間項の行を,三段階の様式表現の用語として,書道以外のさまざまのジャンルでも用いるようになった。

そこから茶道・華道・俳諧・庭園などにもこの真行草の構成が見られ建築様式においても和室の格式の表現形式として、真・行・草が用いられています。

一般的に、「」とは厳格に完備したもので正格、それがやや砕けて軟らかな形式になったものを「」、さらに省略化され軟らかさを増したものを「」といい、茶室でいうは、書院風の茶室をいい、は千利休が広めた草庵茶室といえます。草庵を完成させた利休は「を知り、に至れば(作法や形態は)いかほど自由にくずそうと、その本性(質)はたがわぬ」と弟子に説いたそうです。

「和風」は様式ではないといいました。そしてわずかな約束事と言えるのが、この真・行・草の表現形式なのかもしれません。

長くなってしまいますので、続編は機会があれば・・・ということで、続編をお楽しみに!


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